坂本龍馬と海援隊
坂本龍馬とは誰もが耳にしたことがある超有名人ですが、知りたくてインターネットで調べても歴史本で調べても難しい言葉が並び、いまいち、よくわからないという方が多いのではないでしょうか。
海援隊・・・亀山社中・・・?一体なんのこっちゃと思ってる方に、わかりやすく説明していこうと思いますので最後までご覧になってくださいね。
坂本龍馬が結成した海援隊とは日本最初の商社と言われている亀山社中が前身だったんですね。
亀山社中は、1865年に設立された貿易会社兼政治組織で倒幕活動をする一方でグラバー商会相手に銃器の取引をして藩に卸していたんです。
慶応3年(1867年)に坂本龍馬の脱藩罪が解かれた頃に、土佐藩を海から守るという意味で海援隊となったんです。
海援隊は何をしたの?目的は?
海援隊の目的は、土佐藩の応援と運輸、開拓、そして利益を出して経営することでした。
これは、当時では、斬新で特に、利益を追求するところは、現在の会社に似てますよね。
でも、慶応4年(1868年)4月に解散してしまいます。
活動期間は約1年という短いものでした。
坂本龍馬が海援隊で残した功績とは
海援隊の隊長である坂本龍馬が残した功績というのは存在そのものにあると思います。
というのは、蒸気船を使って物資を輸送したり武器を運搬したり、護衛の仕事など何でもやっていたのです。
もうお気づきのように海援隊は、商社であり、軍事組織だったんです。
全ては、倒幕のためにです。
先述したように、海援隊は利益を追求するという一面を持ち合わせて当時としては珍しい現在の会社のようなもの。
そこで得た利益は薩長などの倒幕勢力を支えていたのです。
これだけでも、すごい功績ですよね。
でも、それだけではないんです。
坂本龍馬は、兼ねてから、土佐藩に「互いの血を流さずに政権を朝廷に返す案」を提案し、それが、世にいう「大政奉還」の策と決まり、まだ、その先を見据えていたんです。
船の上で考えたと言われる「船中八策」とは、あまりにも有名ですよね。
現代日本では当たり前の事を、この頃すでに構想していたんですね。
「これからの日本は、全国の代表が政治に参加すべき」というのを基に会議の設置や外交を行うなどワンマンな幕藩体制では成し得ない構想を練っていたんです。
まだまだ現在の日本のようにはいきませんが、この頃の時代背景を考えると海援隊での出来事があって、後の日本海軍の発展の土台につながり、貿易相手であるグラバー商会のトーマス・グラバーとの取引の経験も大きかったと思います。
大政奉還の後、明治維新に入って国際取引の人材が育ったんです。
育った人材の一例として、坂本龍馬と同じ海援隊士だった岩崎弥太郎、陸奥宗光は、あまりにも有名です。
まとめ
いかがだったでしょうか。坂本龍馬は何をした人?と聞かれると「薩長同盟」「大政奉還」「海援隊」というワードが出てきそうですが、実際、そんな簡単なものではないと思います。
それは、坂本龍馬という人物像にスポットを当てれば、非常に柔軟な頭の持ち主だという事が読みとけるんですね。
というのは、自分の藩である人間はもちろんのこと、長州藩や薩摩藩の人間とも親しいんです。
敵である幕府側の勝海舟とも仲が良かったり、仲間内でも上下関係はなく皆平等に接していたと言います。
そうです。坂本龍馬自身、人と人をつないだ人、いわゆるネットワーカーという言葉が合うと思います。
そういう人柄があってこその功績だと思います。
何にせよ、こういう事があっての今の日本があると思っていただければと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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